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≪戦国時代≫濃姫(のうひめ)

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清洲城濃姫の像(地図赤①)

 

1535年父斎藤道三・母正室小見の方の唯一の子どもとして美濃国(今の岐阜県)に生まれる

※ 諸説あり正確な年代は不明

 

小見の方は明智光秀の父光綱の妹という説があり明智光秀とはいとこ同士に当たる と言われている

 

正式な名前は分かっていないが美濃国から嫁いだ姫ということで濃姫、または斉藤道三が隠居していた鷺山城から鷺山殿などと呼ばれている(地図赤②)

他には帰蝶と呼ばれていた

 

1546年  11歳  越前大名朝倉孝景斎藤道三の和睦の条件として美濃守護である土岐頼純(ときよりずみ)と結婚させられる

 

このとき織田信長との結婚の話も出ていたが保留となる

 

1547年  12歳  土岐頼純が殺され斎藤家に戻るもすぐに 土岐八郎頼香(ときはちろうよりたか)に嫁がされる

 

土岐八郎頼香が斎藤道三の支配から脱却しようとし斎藤道三に殺される

 

1549年  14歳  大垣城を巡って織田信秀斎藤道三が争っていたが平手政秀の取りまとめが功を奏し織田信長濃姫の結婚にて和睦(地図赤③)

 

織田信長に嫁ぐ際に父斎藤道三より短剣を渡され「織田信長が噂通りのうつけ者ならこれで刺せ」と言われるも「これで父をさすことになるかもしれない」と返したという逸話がある

 

1556年  21歳  父斎藤道三が嫡男の義龍に殺される

※嫡男・・・ 正室が産んだ一番年上の男子ただし 小見の方には息子がいなかったので義龍の母親は側室

 

1582年  47歳 本能寺の変織田信長死亡

 

濃姫の死亡時期には諸説あり1567年織田信長が美濃を攻略する前に病死したという説と、 本能寺の変の時に戦い討死したという説、また1612年本能寺の変より30年目に78歳で亡くなったという説等がある

 

織田信雄分限帳に出てくる安土姫が濃姫ではないかという説が現在最も注目されていて、78歳まで生きたのではないかと言われている

 

織田信長との間に子供はなく不仲だったと言う説がある

斎藤道三の長女で織田信長正室という重要な立場にありながらなぜか謎の多い姫である

 

お墓はないが岐阜城城下町がの西不動尊近くに濃姫遺髪塚が再建されている(地図黒①)

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