いらすとやより
1494年 0歳 山城国乙訓郡西岡(現在の京都府)で生まれる
父親は松波庄五郎で母親は不明
1504年 10歳 妙覚寺に出家し法蓮房と名乗る
その後還属し油売りの行商人から武士へと出世したと言われているがこれは父松波五郎の事ではないかと言う説もある
美濃国守護土岐に使える長井長弘の家臣となり、その後長井氏 家臣西村氏の家名をついで西村勘九郎正利と名乗る
1527年 33歳 土岐氏の家督争いで土岐頼芸の相続に貢献し家老となる
1530年 36歳 長井長弘を殺害し長井家を乗っ取り長井新九郎規秀と名乗る
1538年 44歳 斎藤利長が病死をすると名を継いで斉藤新九郎利正と名乗る
1541年 47才 土岐頼芸の弟頼満を毒殺し土岐頼芸との仲が険悪になる
1542年 40歳 土岐頼芸とその子を尾張の国へ追放し道三が美濃の国主となる
1547年 53歳 加納口の戦いで織田信秀を撃退するが翌年娘の濃姫を織田信秀の嫡男織田信長に嫁がせて和睦にする
1554年 60才 家督を嫡男義龍に譲り 仏門に入る
1556年 62歳 長良川の戦いで嫡男の義龍に敗れ討死する
道三の正室お見の方は明智光秀の 叔母にあたり 織田信長に嫁いだ濃姫は明智光秀の従兄弟になる(親同士が兄妹)
また娘の春日局は徳川三代目将軍家光の乳母である
道三を討ち取った義龍は母である深芳野が側室になった時にはすでにお腹にいて実の父親は斎藤道三によって追放された土岐頼芸ではないかという説がある
斎藤道三の娘の一人が稲葉貞通に嫁いでいて、この2人の子孫が120代仁孝天皇を生んでいるので、道三は天皇陛下の直径の祖先となる