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【平安時代】西塔武蔵坊弁慶


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イラストやより

 

 

弁慶の誕生には和歌山県田辺市島根県松江市それぞれに説が残っているが、両場所における伝説と両親に関する伝説がかなり入り混じっていて複雑になっている

※生誕の情報についてはたくさんの説がある為下記の情報は確実なものではありません

【Ⅰ】和歌山県田辺市生誕説

1151年3月3日(諸説あり) 0才

父親である第21代熊野別当(注①)「湛増(たんぞう)」が二位大納言(注②)の娘を強奪して、大福院(地図黄①)で妊娠期間33ヵ月だった弁慶を産ませ弁慶産湯の井戸(地図黄②)で汲んだ産湯につかわせたとされている

※『義経記』(注③)では熊野別当「弁せう」が二位大納言の娘に産ませたその妊娠期間は18か月と記されている

子どもの姿で生まれてきた弁慶は鬼子として父親に殺されそうになるが、父親の妹であるおばが「鬼若」と名付け引き取った(山に捨てられたという説もある)

子どものころ八坂神社(地図黄③】にある石に腰を掛けていたが、重みで石にくぼみができてしまう

注①熊野別当・・・9~13世紀に熊野三山(熊野大宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の統括に当たった役職

注②二位大納言・・・日本の位階・神階における位のひとつ

注③義経記(ぎけいき)南北朝時代室町時代にかけて完成したと考えられている作者不詳の義経を中心とした軍記物語

 

7才の頃

叔母により京都で育てられた弁慶は比叡山延暦寺(地図黄④)に預けられるも、暴れまくったため追い出される

 

その後自ら剃髪し「武蔵坊弁慶」と改名播磨の書写山園教寺(地図黄⑤)で修業するが、いたずらをされたことに腹を立て相手の修行僧を屋根に投げてしまう

その際に修行僧が持っていた火が燃え広がり54棟が延焼してしまう

 

【Ⅱ】島根県松江市

紀州田那部(現和歌山県田辺市)の誕象(たんしょう)の娘だった弁吉が年ごろになっても良縁に恵まれず、両親の勧めで出雲の国の縁結びの神「出雲路幸神社(地図茶①」へお参りすることになった

そこで枕木山の長海村に住むようお告げがあり、長見神社(地図茶②)で待つこと3年一人の山伏(天狗という説あり)と出会い身ごもった(山伏はすぐに去って行ったらしい・・・)

妊娠中に鉄を好むようになった弁吉は村の鍬(くわ)を盗んで食べていたが村の子供に見つかり食べ残した為、他の説よりは早い妊娠13か月に弁慶の森(地図茶③)で弁慶を産んだとされている

産まれたばかりの弁慶は髪は長く歯も生えそろっているという異様な姿だったため、弁吉は自分の手で井戸を掘り(地図茶④)産湯につかわせた

弁吉は弁慶に「弁太」と名付けた

 

5才の頃

2メートルほどある大きな岩(地図赤⑤)を持ち運ぶ

 

7才の頃

あまりにいたずらが酷いため、母親の弁吉に弁慶島(地図茶⑥)に置き去りにされる

そこで出会った天狗(父親と言う説あり)に剣術や学問を学び、さらに砂や石で道を作って島を脱出する方法を教わる

このときに作った道は今でも利用されている

 

無事島を脱出した弁慶は最後岸辺の茅を握って陸にわたるが、その際に茅で手を切ってしまう

この茅は「弁慶の握り茅(地図茶⑦」として伝えられ、今も『弁太(弁慶)の血で茅の切り口が赤い』と言われている

 

島を脱出した後「弁太」から「鬼若」と改名して華蔵寺(地図茶⑧)で修業を行う

ここで修業中に石を持ち運んでいる(地図茶⑨)

他に澄水寺(地図茶⑩)で修業をしている

 

18才~21才

上記寺で修業した後鰐淵寺(がくえんじ)で3年間修業する

 

出雲で母親とされている弁吉が亡くなる

嘆き悲しんだ弁慶は自分が生まれた弁慶の森(地図茶③)に「弁吉女霊社(じょれいしゃ)」と言う祠を建立し母をまつった

弁吉が出会いを待った長見神社(地図茶②)に自分の半生を記した「武蔵坊弁慶訴状」を奉納する

 

【Ⅲ】義経との出会い以降

播磨山の書写山(地図緑①)で乱暴を繰り返し、堂塔を炎上させた弁慶は京で千本の太刀 (たち)を奪おうと決心

 

999本目まで集めたところで笛を吹きながら五条大橋(地図緑②)を歩く源義経に挑むも降参し家来となり平家との戦で活躍をすることに

 

しかし源義経が兄の源頼朝を怒らせ命を狙われるようになると、ともに陸奥国を目指し逃亡する

その後1189年衣川館(地図緑③)で襲われ、源義経をかばいたくさんの矢をあび死亡※弁慶の立往生

 

その後源義経の首と共に鎌倉の腰越の浜(地図緑④)に運ばれ首実験が行われた後白旗神社(地図緑⑤)に葬られた

 

配偶者はいないと推測されている

 

【Ⅳ】弁慶ゆかりの地(地図赤)

①弁慶産屋の楠跡・・・第三の弁慶出生の地

②闘鶏(とうけい)神社・・・弁慶の産湯の釜・義経の笛・湛増の鉄烏帽子・鉄の扇が残されていて。敷地内には湛増と弁慶の像がある

③弁慶像

島根県松江市新庄町・・・腕利きの刀鍛冶が弁慶の薙刀を作った

⑤弁慶石・・・弁慶が愛した石

⑥弁慶鏡ケ井戸・・・源義経と共に奥州へ向かう途中で喉を潤した

⑦矢の根石・・・弁慶が矢をさした岩

⑧弁慶下駄掛石・・・弁慶が蹴って飛ばした石

⑨弁慶腰掛石・・・この石に座っているときに源義経と出会った※時期は不明

⑩弁慶硯の水井戸・・・大般若経を写したときの井戸

⑪弁慶坂

⑫弁慶橋

⑬弁慶水・・・弁慶が閼伽水(あかみず※仏前に備える水)を汲んだ場所

瀬見温泉・・・源義経の子ども亀若丸の産湯を探していた弁慶が見つけた温泉薬研の湯、亀若丸の誕生を祝い投げた弁慶の投松、亀若丸の名付けの際に硯(すずり)として炭をすった弁慶の硯石がある

 

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