【群馬県】簗瀬(やなせ)二子塚古墳★★★★☆
2018年に国の史跡に指定された全長80mの前方後円墳で、副葬品として玉類や鉄鍬が出土している
6世紀初頭に作られたと考えられている
階段が整備されていて楽に上まで登ることができる
関東最古級の横穴式石室となっているけれど、遺構保護の為閉鎖されている
道路を挟んだ向かいのガイダンス棟で石室内部が3D映像で見ることができる
ナビに従って道路を走らせると現れる簗瀬(やなせ)二子塚古墳の看板
道路としては広いけれど当然路駐はできないが、この古墳は何と駐車場がある❗
古墳のガイダンス棟が設けられていて、そこの敷地に駐車場があり使わせていただける
駐車場からの風景
目の前の建物がガイダンス棟で、道路を挟んで左が古墳
車を停めたら道路を渡り
看板の左側の階段を登ると・・・
思わず「おぉー」と声が漏れるくらいの大きさ
全景がわかるちょうどよい大きさで、天気の良さもありしばらく見惚れる
近づいてみると古墳の簡単な説明があり
階段を登り中腹(❓)に行くと
関東最古級の横穴式石室が現れる
ただし遺構保護のため中を直接見ることはできず、この日は天気が良すぎてガラスが反射してしまい、残念なことに中はさっぱりわからず😅
岩が崩れやすくなっているから気をつけてねと言う注意看板を見て
この岩は当時のものか❗と気がつく
1000年以上も前に人が積んだ石だと思うと急にワクワクするから不思議(笑)
この石室は全長11.54mもあり、内面はベンガラとみられる赤色顔料が塗布されていて珍しい赤い玄室となっている
ちなみにベンガラとは主成分が酸化鉄で着色力が強いらしい
さらに上まで登ると石碑が立っていた
上から見るとさらに前方後円墳なことがわかる
くびれの辺り
本当は近くにある首塚を訪れて写真も撮ったのですが、群馬出身の方に聞くと県外の人はみんな写真撮るけど私は写真撮らないよと言われ、色々と思うところがあり反省して写真消しました
最後に後ろからの写真を
古墳には屋根つきの休憩テーブルがあったけど、高校生のカップルが楽しそうに遊んでいたのでこちらの写真は遠慮しました😄
【電話番号】027-382-1111(ガイダンス棟)
【アクセス】
〔車〕上信越道「松井田妙義IC」から20分
〔電車〕信州本線「磯部駅」から徒歩30分
【駐車場】無料 9台 (ガイダンス棟)
【営業時間】8時30分~17時00分(ガイダンス棟)
【休業日】年末年始(ガイダンス棟)
【入場料】無料(古墳・ガイダンス棟)
【群馬県】道の駅「ららん藤岡」★★★★☆
遊園地があり、高崎の有名なお菓子ラスクの店ハラダからラーメン屋等たくさんの飲食店にもちろん農産物直売所もある他にはないような道の駅
訪れてまずびっくりするのが観覧車😲
小さい遊園地だけれど、小さなお子様喜ぶこと間違いなし❗
駐車場から中庭?に入った風景
道の駅とは思えない雰囲気に思わずにやりとする中年夫婦(笑)
立ち並ぶお店を見てどこでご飯食べようか悩む
いつも思うんだけど、一食の量を小さくして食べ歩きできると楽しいのに・・・😄
今回は私と旦那と末の娘と3人で行ったんだけれど、食べたいもので意見が分かれる
私はこのお寿司屋さん、旦那ははじに見えるラーメン屋、娘はハンバーグ
話し合いの結果ラーメン屋に入ったんだけど、これが大正解😆
みんな「藤岡味噌贅沢駿らーめん@980円」を頼んだけど本当に美味しかった❗
生姜がのっていて途中からスープと混ぜるとさっぱりした味変になるのでいい感じに😁
らーめん駿は他にもメニューが色々あり、今回食べたラーメンのしょう油バージョンや、トマトラーメンなんてものもある❗
旦那と次回はトマトラーメン食べたいねと話してたけど、お隣の県とは言え遠いのでいつになるのか😅
お土産にハラダのラスクを購入
普通のラスクの他に群馬限定らしいキャラメルショコラを買ったらすごい❗本当にすごい
甘い物苦手だけれどすごく美味しかった😂
私の分数なかったのに、感動した旦那が一口くれた
ありがとう旦那よ🤣
花交流館の前にはきれいなお花が
駐車場に戻る前にもう一枚
駐車場は建物側の通路沿いに停めてみた
駐車場からの風景
【電話番号】0274-24-8220
【アクセス】
〔車〕上信越自動車道「藤岡IC」から1分
※長野方面からは「藤岡PA」より利用可能(ただし利用後は藤岡ICから降りることができないので要注意❗)
【駐車場】普通車567台(藤岡PA含む)
【営業時間】【休業日】
店舗により異なる
店舗数が多いのと、変動があるため下記HPで要確認
【群馬県】藤岡市
藤岡 紫(ふじおか ゆかり)
藤岡 桜(ふじおか さくら)
藤岡市とは・・・
●下仁田街道の宿場町として発展してきた
●群馬大使で有名な中山秀征さんの出身地
●鮎川・鏑川・烏川・神流川(かんながわ)の4つの川が流れる清流に恵まれた市
藤岡市の伝説・・・
悪さをしていた鬼と弘法大師が対決した際に鬼が投げた石が落ちたところを鬼石と呼ぶようになり、今でも鬼石(おにし)と言う地名が残っている
やよいひめ(いちご)ふじ姫(とまと)
藤岡市見所スポット
※ 実際に行った場所については星で評価しています(注)私個人の勝手な評価になります
◆観光◆ ※むらさき
①桜山公園
②赤久縄
③ 神流(かんな)湖
④三波石峡(三波四十八石)
⑤八塩あじさいの里
⑥二千階段
⑦藤岡歴史館
◆子ども◆※あお
①庚申山ミニ動物園
◆史跡◆ ※あか
①高山社跡
②譲原石器時代住居跡
③中大塚縄文時代敷石遺構
④本郷埴輪窯跡
◆城◆ ※ちゃいろ
①平井城跡
◆古墳◆※グレー
①伊勢塚古墳
②七興山古墳
③白石稲荷山古墳
◆神社・仏閣◆※きいろ
①浄法寺
②土師(どし)神社 ※相撲の神様
◆道の駅・農産物直売所◆ ※きみどり
①「道の駅ららん藤岡」★★★★☆
②道の駅「上州おにし」
③JAたのふじ ふじ娘館・農産物直売所
④JAグリーン農産物直売所
◆温泉◆ ※くろ
①猪の田温泉 絹の湯
②鮎川温泉 金井の湯
③八塩温泉
④桜山温泉 絹の里別邸
◆キャンプ・バーべキュー◆ ※濃みどり
①小平河川公園
②烏川オートキャンプ場
【群馬県】三ケ(さんか)古墳★★★☆☆
道路沿いの空き地に現れる三ヶ(さんか)古墳
正直石が積んであるだけに見えなくもないけれど、売地になっていて見れなくなるかもと書かれていたので見に来てみた
同じアングルで近づいてみると・・・ふとこれは石室ではないかと気がつき鼻がふくらんだ(笑)
調べてみると、規模は不明ながら円墳だったらしい
そしてこの石が本当に石室なのかはわからなかった😅
※石室・・・古墳の中に石で作られた墓室
【電話番号】なし
【アクセス】
〔車〕上信越自動車道「松井田妙義IC」から15分
【駐車場】なし
【群馬県】磯部温泉 ~温泉マーク・舌切り雀発祥の地~★★★★☆
磯部温泉はあの温泉マーク発祥の地で、1661年に農民による土地争いが勃発した際に、江戸幕府から出た判決文の地図に2つ書かれていたのが最古の温泉マークと言われている(2021年現在)
また磯部にはもともと舌切り雀の伝説が伝わっていて、これを元に明治の児童文学者巖谷小波(いわやさざなみ)が昔話として書き上げ全国的に有名になった
さらに2019年関東の温泉地で初となる『恋人の聖地』に任命され、磯辺公園内にある磯辺赤城神社には縁結びの絹紐の結びどころがある
泉質は塩化物・炭酸水素塩強塩温泉で肌がツルツルになる効果がある
名物は温泉水を使用した磯部せんべい
毎年8月14日〜8月16日に磯部温泉祭が開催されている
温泉マークは街の色々なところにあるようで駅前のロータリーにも😀
この温泉マークの裏には恋人の聖地にふさわしい(?)恐妻碑もありました・・・
見たんだけれど「恐」と言う字しかわからず写真撮らず(泣)
駅のすぐ目の前が温泉街になっていて、ロータリーの前には温泉地でよく見かけるこんな景色が
駅前にはタクシーがたくさん停まっているので、(とい言うか駅の正面がタクシーの営業所)駅から離れた宿でも一安心
駅の右手にはお迎えの方用の一時的な駐車場も無料でありました😆
今回はキャンプ帰りで疲れていたのと、温泉マークが目的だったので温泉には入らず帰宅の途へ😀
お肌すべすべになるみたいなので、今度は家族とゆっくり泊まりで来ようかなと思います😁
【電話番号】027-385-6310 (磯部観光温泉旅館協同組合)
【アクセス】温泉街まで
〔車〕上信越自動車道「松井田妙義IC」から15分
【群馬県】安中(あんなか)市
こうめちゃん
梅と温泉がイメージされているこうめちゃんです😀
安中市HPより
安中市とは・・・
かつて板鼻宿・安中宿・松井田宿・坂本宿の4つの宿場町があり、関所もおかれる交通の要衝として栄えてきた
現在も新幹線の駅や高速道路のインターチェンジが2か所あり恵まれた立地となっている
安中市の伝説・・・
温泉マーク発祥の地であり舌切り雀の伝説が生まれた磯部温泉がある
●磯部せんべい・・・磯部温泉からくみ上げられた鉱泉が使われている
●タルタルカツ丼・・・板鼻館で食べられる
安中市見所スポット
※ 実際に行った場所については星で評価しています(注)私個人の勝手な評価になります
◆観光◆ ※むらさき
①めがね橋
③ 碓氷湖
④JR横川駅
⑤丁須の頭
⑥小根山森林公園・野鳥の森
⑦安中原市の杉並木
⑧妙義山麓美術館
⑨群馬フラワーハイランド
⑩霧積ダム
◆史跡◆ ※あか
①碓氷関所跡
②アプトの道
③旧中山道
④茶屋本陣
⑤新島襄旧宅
⑥坂本宿金井本陣跡
⑧赤穂義士四十七士石像
⑨旧熊ノ平駅
⑩板鼻宿木嶋本陣跡
⑪旧丸山変電所
◆城◆ ※ちゃいろ
①後閑城址
②松井田城址
◆古墳◆※グレー
①簗瀬二子塚古墳★★★★☆
②天皇塚古墳
③野殿天王塚古墳
④万福原古墳
⑤町北古墳
⑥寺前西古墳★☆☆☆☆
⑦三ケ古墳★★★☆☆
◆神社・仏閣◆※きいろ
①全性寺(ゴルフ観音)
②熊野神社
③羊神社
◆温泉◆※くろ
①霧積温泉
②磯部温泉・・・温泉マーク、舌切り雀発祥の地 ★★★★☆
③峠の湯
④砦乃湯
◆キャンプ場◆※濃みどり
①キャンプベース安中榛名★★★★☆
②八風平キャンプ場
◆道の駅・農産物直売所◆※きみどり
①おぎのやドライブイン横川本店
②あいさい直売所
【岩手県】高館義経堂(たかだちぎけいどう)※別名:衣川館・判官館
【電話番号】0191-46-2331
【アクセス】
〔車〕「平泉前沢IC」から5分
〔電車〕「平泉駅」から徒歩20分
【駐車場】20台程
【営業時間】
8時30分~16時30分(3月5日〜11月4日)
8時30分~16時00分(11月5日〜3月4日)
【休業日】年中無休
【拝観料】
高校生以上300円 小学生・中学生100円(2021料金改定)
※毛越寺が管理
他に『判官館(はんがんだて・ほうかんだて)』や『衣川館(ころもがわやかた)』と呼ばれている
奥州藤原氏の居館で、1189年源頼朝に追われた源義経や正室の郷御前と子どもが最期を迎えた終焉の地
源義経が襲われた際に弁慶がかばって背中に無数の矢を受けるも、倒れることなく絶命した後もかばい続けたいわゆる『弁慶の立往生』をとげた場所でもある
歌の歌詞にもなっていて、結構誰もが知っている『夏草や 兵どもが 夢の跡』の俳句を松尾芭蕉が詠んでいる
平家を滅ぼすのに活躍した直後、一転して兄である源頼朝から狙われる身となりここで妻子を殺し自害することになった源義経の悲運な人生をそのままを表している俳句だと思います・・・
【岩手県】平泉町
「ケロ平(ひら)」は、平泉の柳之御所遺跡から出土した「平泉のカエル戯画」をモチーフとした県の新しい公認キャラクターです。
岩手県HPより
平泉町とは・・・
平泉町の伝説・・・
何といっても源義経が最期を迎えた場所であることが有名
その際にたくさんの矢を浴びたのに倒れることなく源義経を守った弁慶の話は知らない人はいないと思う(弁慶の立往生)
●ひっつみ・・・水でこねた小麦粉を鶏肉野菜と共に醤油ベースの汁で煮込んだ料理
平泉町見所スポット
※ 実際に行った場所については星で評価しています(注)私個人の勝手な評価になります
◆観光◆ ※むらさき
②束稲山
③ 金鶏山
◆史跡◆ ※あか
①柳之御所遺跡
③観自在王院跡
④高館義経堂(たかだちぎけいどう)
⑤武蔵坊弁慶墓碑
⑥伽羅御所跡標柱
⑦倉町遺跡
◆城◆ ※ちゃいろ
①泉が城
◆神社・仏閣◆※きいろ
②毛越寺(もうつうじ)
③白山神社
【平安時代】西塔武蔵坊弁慶
弁慶の誕生には和歌山県田辺市と島根県松江市それぞれに説が残っているが、両場所における伝説と両親に関する伝説がかなり入り混じっていて複雑になっている
※生誕の情報についてはたくさんの説がある為下記の情報は確実なものではありません
【Ⅰ】和歌山県田辺市生誕説
1151年3月3日(諸説あり) 0才
父親である第21代熊野別当(注①)「湛増(たんぞう)」が二位大納言(注②)の娘を強奪して、大福院(地図黄①)で妊娠期間33ヵ月だった弁慶を産ませ弁慶産湯の井戸(地図黄②)で汲んだ産湯につかわせたとされている
※『義経記』(注③)では熊野別当「弁せう」が二位大納言の娘に産ませたその妊娠期間は18か月と記されている
子どもの姿で生まれてきた弁慶は鬼子として父親に殺されそうになるが、父親の妹であるおばが「鬼若」と名付け引き取った(山に捨てられたという説もある)
子どものころ八坂神社(地図黄③】にある石に腰を掛けていたが、重みで石にくぼみができてしまう
注①熊野別当・・・9~13世紀に熊野三山(熊野大宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の統括に当たった役職
注②二位大納言・・・日本の位階・神階における位のひとつ
注③義経記(ぎけいき)南北朝時代~室町時代にかけて完成したと考えられている作者不詳の義経を中心とした軍記物語
7才の頃
叔母により京都で育てられた弁慶は比叡山延暦寺(地図黄④)に預けられるも、暴れまくったため追い出される
その後自ら剃髪し「武蔵坊弁慶」と改名播磨の書写山園教寺(地図黄⑤)で修業するが、いたずらをされたことに腹を立て相手の修行僧を屋根に投げてしまう
その際に修行僧が持っていた火が燃え広がり54棟が延焼してしまう
【Ⅱ】島根県松江市
紀州田那部(現和歌山県田辺市)の誕象(たんしょう)の娘だった弁吉が年ごろになっても良縁に恵まれず、両親の勧めで出雲の国の縁結びの神「出雲路幸神社(地図茶①」へお参りすることになった
そこで枕木山の長海村に住むようお告げがあり、長見神社(地図茶②)で待つこと3年一人の山伏(天狗という説あり)と出会い身ごもった(山伏はすぐに去って行ったらしい・・・)
妊娠中に鉄を好むようになった弁吉は村の鍬(くわ)を盗んで食べていたが村の子供に見つかり食べ残した為、他の説よりは早い妊娠13か月に弁慶の森(地図茶③)で弁慶を産んだとされている
産まれたばかりの弁慶は髪は長く歯も生えそろっているという異様な姿だったため、弁吉は自分の手で井戸を掘り(地図茶④)産湯につかわせた
弁吉は弁慶に「弁太」と名付けた
5才の頃
2メートルほどある大きな岩(地図赤⑤)を持ち運ぶ
7才の頃
あまりにいたずらが酷いため、母親の弁吉に弁慶島(地図茶⑥)に置き去りにされる
そこで出会った天狗(父親と言う説あり)に剣術や学問を学び、さらに砂や石で道を作って島を脱出する方法を教わる
このときに作った道は今でも利用されている
無事島を脱出した弁慶は最後岸辺の茅を握って陸にわたるが、その際に茅で手を切ってしまう
この茅は「弁慶の握り茅(地図茶⑦」として伝えられ、今も『弁太(弁慶)の血で茅の切り口が赤い』と言われている
島を脱出した後「弁太」から「鬼若」と改名して華蔵寺(地図茶⑧)で修業を行う
ここで修業中に石を持ち運んでいる(地図茶⑨)
他に澄水寺(地図茶⑩)で修業をしている
18才~21才
上記寺で修業した後鰐淵寺(がくえんじ)で3年間修業する
出雲で母親とされている弁吉が亡くなる
嘆き悲しんだ弁慶は自分が生まれた弁慶の森(地図茶③)に「弁吉女霊社(じょれいしゃ)」と言う祠を建立し母をまつった
弁吉が出会いを待った長見神社(地図茶②)に自分の半生を記した「武蔵坊弁慶訴状」を奉納する
【Ⅲ】義経との出会い以降
播磨山の書写山(地図緑①)で乱暴を繰り返し、堂塔を炎上させた弁慶は京で千本の太刀 (たち)を奪おうと決心
999本目まで集めたところで笛を吹きながら五条大橋(地図緑②)を歩く源義経に挑むも降参し家来となり平家との戦で活躍をすることに
しかし源義経が兄の源頼朝を怒らせ命を狙われるようになると、ともに陸奥国を目指し逃亡する
その後1189年衣川館(地図緑③)で襲われ、源義経をかばいたくさんの矢をあび死亡※弁慶の立往生
その後源義経の首と共に鎌倉の腰越の浜(地図緑④)に運ばれ首実験が行われた後白旗神社(地図緑⑤)に葬られた
配偶者はいないと推測されている
【Ⅳ】弁慶ゆかりの地(地図赤)
①弁慶産屋の楠跡・・・第三の弁慶出生の地
②闘鶏(とうけい)神社・・・弁慶の産湯の釜・義経の笛・湛増の鉄烏帽子・鉄の扇が残されていて。敷地内には湛増と弁慶の像がある
③弁慶像
④島根県松江市新庄町・・・腕利きの刀鍛冶が弁慶の薙刀を作った
⑤弁慶石・・・弁慶が愛した石
⑥弁慶鏡ケ井戸・・・源義経と共に奥州へ向かう途中で喉を潤した
⑦矢の根石・・・弁慶が矢をさした岩
⑧弁慶下駄掛石・・・弁慶が蹴って飛ばした石
⑨弁慶腰掛石・・・この石に座っているときに源義経と出会った※時期は不明
⑩弁慶硯の水井戸・・・大般若経を写したときの井戸
⑪弁慶坂
⑫弁慶橋
⑬弁慶水・・・弁慶が閼伽水(あかみず※仏前に備える水)を汲んだ場所
⑭瀬見温泉・・・源義経の子ども亀若丸の産湯を探していた弁慶が見つけた温泉薬研の湯、亀若丸の誕生を祝い投げた弁慶の投松、亀若丸の名付けの際に硯(すずり)として炭をすった弁慶の硯石がある
【埼玉県】道の駅「おかべ」
【住所】埼玉県深谷市岡688-1
【電話番号】048-585-5001
【アクセス】
【駐車場】普通車264台
※第2駐車場 7時00分~19時00分
【営業時間】
直売所 8時30分~19時00分
物産所 8時00分~19時00分
そば蔵 8時00分~18時00分(LO17時30分)
百縁むすび 9時00分~18時00分
NORA 11時00分~17時30分(LO16時30分)
【休業日】年中無休
【入場料】なし
中宿古代倉庫群跡の近くにある道の駅
こだわりのピザが食べられるレストランや、郷土料理の煮ぼうとうが食べられるそば屋がある
国道17号深谷バイパスを走らせていると出てくる道の駅「おかべ」
駐車場の道は狭くて土日だからか人も多いので徐行して走らせ車を停める
ざっくり見渡したときの印象は「思ったより小さい」
とりあえず物産センターを見てみる
人が多いので写真は控えました!
深谷ねぎたくさん置いてあり、他にも野菜やうどんがたくさん並んでた😄
うどんはもちろん太くてコシのある埼玉のうどん
外に出るとおにぎり屋さんがあって、その隣ではコーヒーが店頭で販売されていた😆
そして今埼玉県民が熱い視線を送っている渋沢栄一のお札が一足先に飾られていた
休みだからか、普段からなのかすみません不明なのですが、ネギフライと言う深谷ねぎのお好み焼きのようなものが売られていて結構お客さんが並んでる
このあたりではいわゆるフライは揚げ物ではないので注意😅
この建物の軒下に屋台屋らコーヒーやら販売されていて、写真からはわからないけれど結構人がいて活気があった
建物の左側にもドアがあり、行きは案内所だと思ってスルーしたんだけれど、帰りはそば屋を探すのに近づいてこちらにもお店があることに気がついた😅
確かにそば蔵の看板があった(笑)
中に入ると・・・
何ということでしょう❗たくさんのお酒が並んでる🥰
日本酒飲みたいんだけど・・・飲みたいんだけどいつも飲みすぎて翌日気持ち悪くなるので現在自粛中😭
そして隣にはそば蔵
深谷の郷土料理煮ぼうとうを食べようと思っていたんだけれど、季節外れの暑さで悩む
ついでにうなぎも食べたくなってきた(笑)
とりあえず店に入って席に座ると夏バージョンの煮ぼうとう「冷し煮ぼつけ」とやらを見つけたのでこれをチョイス😆
写真が反射してしまってうどんがわかりにくいけど煮ぼつけ
付け合せの野菜は深谷産で、汁にたくさん入っているネギはもちろん深谷ねぎ
付け合せの野菜がまた美味しい😁
コーンがあったからなぜこれでコーン缶❓と思ったけど食べてびっくりこれ絶対コーン缶じゃない(・・;)❗
とうもろこしほぐしてくれたやつで甘い😆
そして蕎麦湯も頂きました
外に出てトイレに行くと何か新しい雰囲気
そしてその近くに案内所
自販機には笑顔のふっかちゃん(笑)
煮ぼつけも美味しかったし、なかなか楽しい道の駅でした
【埼玉県】すったて(冷汁)
埼玉県の川島町で5月~10月まで(一部店舗では9月まで)食べられている『すったて』
これはすりたてのゴマと味噌を和えた冷たい汁に大葉・きゅうり・みょうが等の夏野菜を入れて食べるうどんで、埼玉S級グルメにも選ばれた川島町の郷土料理😄
別名冷汁とも呼ばれていて他の地域でも似たようなうどんはあるけれど、川島町は幕府に献上したお米をはじめイチジクなどとにかく農産が盛んなため、夏の暑くて忙しい時期はすりたてのゴマで食べる冷たいうどんをよく食べていて、このすりたてと言う言葉がなまって「すったて」と呼ばれるようになったらしい😀
「すったて」が食べられるお店は川島町商工会のHPで紹介されていて、レシピもあるのでぜひ参考に!!
川島町を車で走らせているとよく見かける「すったて」の看板だけれど、実際まだ食べたことがなかったので行ってきました
行く店は以前に訪れたことのあるうどん処篁園(こうえん)
4月末にすったてを食べに行ったらまだやっていなかったことと、その際に食べた別のうどんがめちゃくちゃおいしかったので、すったてを食べるときは絶対にここで食べる!と決めていた(笑)
ここのお店はとにかく混むので11時半前行ったのだけれどすでに満席でした・・・
でもタイミングよくカウンター席の方がお会計をしたのですぐに座れるましたが(汗)
11時半開店と勘違いしていたことによる失敗です・・・
混んでいた為か15分ほど待つと出ましたすったて!
前回食べてめちゃくちゃおいしかったので単品で注文した野菜天ぷらをセットしました😄
この天ぷらこのボリュームと味でなんと280円!しかも税込み価格!
お持ち帰りしてくれたら絶対に夕飯に買って帰る
付け合わせのサラダもうまい🥰
何が美味しいかと言えばもう野菜そのものが美味しくて、水切りや温度管理も丁寧にやってるだろう感が全てから感じ取れる美味しさ😆
すったてはつけ汁タイプが多い中、こちらのお店は自分でうどんにかけて食べるスタイルでした
ゴマの風味とみょうがや大葉の香味野菜が妙にマッチしていて、うどんも埼玉県の腰のある独特なうどんで本当においしい
しかも1本緑のうどんが入っていて味が抹茶だったというサプライズ
メニューを見ると以前はなかった「すったて」の文字がちゃんとありました😆
しかもこちらもメインなのに税込み750円とリーズナブル('ω')ノ
【日帰り旅行】ぶらり千葉県習志野市
薄曇りのある日、急遽時間がとれたので千葉県習志野市へ行ってきました!
調べてみると船橋市や習志野市には古墳や遺跡がたくさんあるようだったのですが、時間があまりなかったので吟味して回ってみました
船橋市含め探したけれど、近場を回ってこようと思い習志野市オンリーに
お昼ごはんは海鮮丼でも食べようかと思ったけれど、場所や予算の関係でなかなか見つからず断念😅
サービスエリアで食べようと三芳パーキングエリアに入るも駐車場が空いてなくてそのまま本線へ戻ることに(泣)
結局高速降りて最初のコンビニでおにぎり食べました・・・
そんなこんなで最初に向かったのはやっぱり海のない埼玉県民憧れの海!
茜浜緑地で海を堪能
しばらくぼーっと海を見た後は近くの谷津干潟へ
でもここ地図上では近いんだけど、中央分離帯が高速道路なので東関東自動車道沿いに船橋方面へ走り、その後Uターンして同じく東関東自動車道沿いを今来た方向へ戻っていくイメージで走るのでかなり遠回り😅
また今回は東関東自動車道にある谷津干潟自然観察センター側をお邪魔したのですが、反対側には谷津バラ園があり、そこの一角には読売巨人軍発祥の地もあるのでまた訪れたいと思います
次に向かったのは谷津貝塚
残念なことにここは公園として整備されていて何の面影もありませんでした
ただ防災公園としてかまどになるベンチやトイレになるマンホールが並んでいて、別の意味で興味深かった
でも本当の本当は藤崎堀込貝塚に行く予定でした(笑)
ネットで調べて突然貝塚が出てくる的なコメントを見たのでそのつもりで探してたから❓マークたくさん飛んでました(汗)
最後は鷺沼古墳へ向かったのだけれど、車を停められる場所がなく、ぐるぐる何周もしてしまいました・・・
走らせているときに左手には怪しく木々が生い茂っている場所を確認できたけど、工事しているのも見えたのでこれはだめかなと思った最後の一周をしているときにこのパーキングがら近いのではと気が付きようやく駐車😭
そこからナビで調べて徒歩3分ホッとした❗
でもここは古墳自体はかなり小さくなっていて丘のようなレベルだけど、なんと言っても石棺が残されています^_^
これを見に来たと言っても過言ではない
しばらく堪能していると時間がないのと駐車場を探すのに疲れ果てて諦めた近くにあるであろう鷺沼城址が何と階段下にあること判明😄
と言うよりこの古墳の辺り一帯も鷺沼城だったらしい(笑)
ただ城跡と言える遺構はまだ見つかっていなかったり、源頼朝が兵を整えたと言われていたり、城主もあやふやだったり未確認事項が多く、鷺沼城は謎に包まれていた
城跡も広場のような感じでした
そして日もくれてきたのと、道が激しく混んでいたので市川にある道の駅は断念して、近くの幕張インターチェンジから高速に乗りました・・・
インター入るまで渋滞が激しかった😅
それぞれの場所の詳細はリンクしてあるので、そちらもぜひ訪れて見てください^_^
【千葉県】谷津貝塚跡★★★☆☆
【住所】千葉県習志野市谷津1丁目
【電話番号】047-451-1151(習志野市役所)
【アクセス】
〔車〕京葉道路「花輪IC」から8分
【駐車場】あり 31台 無料
【営業時間】9時00分~17時00分(公園駐車場)
【休業日】なし
【入場料】なし
奏の杜1丁目〜3丁目・谷津1丁目・5丁目にかけて広がる市内最古の旧石器時代の遺跡
その他に奈良・平安時代の遺跡が出てきた
発掘調査後は奏の杜(かなでのもり)公園として整備され、遺跡は確認することができない
かつて貝塚や奈良・平安時代の遺跡があったと言うことがわかる唯一の案内板
とても広い公園で、母親や父親と一緒にたくさんの子どもたちが遊んでいた
最近ではなかなか見ない光景にしばし感動
お約束の不審者と心配されないように誰もいないところを移した1枚
本当は小さな子どもたちが走り回っていたけれど、なにせ広いので端の方は人が少なかった
スキを見て遊具の方をパシャリ❗
遺跡を見に来たはずなのになぜか日本の平和と未来を感じてしまった・・・
そして遺跡らしきものを探すも見当たらず(汗)
案内板を見てもわからず
調べてみると公園として整備されて残っていなかった○凹
とりあえず探索すると今更ながらここは「谷津奏の杜公園」と言うことが判明
そして遺跡はなかったけれどこんな案内板を発見する
ふと前にテレビで見たマンホールがたくさん並んでいる謎の公園のことと、先程不思議に思いつつスルーした場所を思い出す
わかりにくいけどこんなマンホールがずっと並んでた
このマンホール災害時にはトイレになるそう
かまどになるベンチはお子様を座りながら見つめる父親らしき方が座っていたので断念
案内板の写真を撮ってみた
公園の片隅に発掘当時の写真を発見
駐車場から入って一番奥にありました
遺跡の案内板を見るとどうやら駐車場のこの辺にも貝塚があったらしい・・・
全く面影なし
夕暮れの公園を見ながらかつて昔の人が住んでいた風景をイメージしてみる
昔の人も同じようにこの太陽を見てたんだろう🥰
ちなみに谷津貝塚をナビで指定すると駐車場がないところに出るけれど、諦めず公園に沿って走らせると駐車場出てきます!
【千葉県】鷺沼城址★★★☆☆
【住所】千葉県習志野市鷺沼1-9
【電話番号】047-451-1124(習志野市社会教育課)
【アクセス】
〔車〕京葉道路「幕張IC」より7分
【駐車場】なし 近くにコインパーキングあり
【営業時間】なし
【休業日】なし
【入場料】なし
鷺沼城の築城時期は不明でその後の詳細も明らかにはなっていない謎の城
吾妻鏡と言う鎌倉時代の歴史書に記載されている『石橋山の戦いに大敗した源頼朝が安房国(現千葉県)に逃げた後兵を整えた鷺沼旅館』がこの鷺沼城ではないかと言われている
それが事実であれば築城は平安時代より前と推定される
鷺沼古墳のA号墳にここを居城としていたと伝わる鷺沼太郎源太光義の石祠があり、それが墓であるとされているが、市川城主の里見氏と鷺沼源太満義が北条氏康との戦いに敗れたとあり、内容がひどく混乱しているため、光義の実績が誤って伝わったものとも考えられている
※光義と満義の名前の読みが同じだった
鷺沼古墳側から訪れました
駐車場は地図に示してある場所が一番近いかと思います
この駐車場に停めた場合、駐車場を出て左方向に歩いていくと鷺沼古墳の案内板が出てくるので、そちらの公園に入って奥に進むと階段が出てきます
降りると鷺沼城址公園になりますが、どうやらこの鷺沼古墳の辺りも鷺沼城だったようです
こんな雰囲気のある階段を降りていきます
階段を降りたところに鷺沼城跡公園の案内図がありました
その目の前にはにはこんな広場があり
なぜか鷺沼ガス供給所の名前が❗
実はここ習志野市ガス事業発祥の地らしいです
右側にある説明文のアップの写真も撮ったのに、光が反射して真っ白でした(泣)
公園の外側にある鷺沼城跡公園と掘られた石
当時の石垣?
調べたけどわからなかったので私の推測です
古墳の方へ上がるもう一つの階段